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水田と自転車

2011/05/22 16:11

昨日ブロ友さんのブログで、自分が子供だった頃に肥溜めに落ちた、という内容の記事を読んで、思わずコメントもしたのですが、私も、今になっても、忘れられない思い出があります。はっきりと覚えています。

私は田舎育ちで、それもかなりの田舎です(´・ω・`)。

小学校の時の遊び相手は、だいたいが一歳上のあっちゃんと、その仲間達でした。

彼らが、かなりの下り坂を、自転車のブレーキをかけずに、どこまで行けるか!という遊びをしていて、私も参加してました。スピードとスリルがたまりませんでした。

下り道の終わりに、ゆる~ぃカーブがありますが、それくらいへっちゃらでした。何度も何度も同じことを繰り返し、何度目かで、そのカーブを曲がりきれず、目の前の水田に、自転車もろともズボッと落ちました。

高さは、1mくらいでしょうか。落ちていきながら、回りの風景がゆっくりと見えたことを、何十年もたった今でも覚えています。今頃の時期でした。田んぼは、田植えをして少したったところで稲は少し伸びていました。水を張った水田で助かりました((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル。

田んぼの上にあるお家にいたおばちゃんが、

「あんずちゃ~~~ん」
と言って駆け下りてきてくれ、私を抱き起こし、自転車を引いて家に連れて帰ってくれました。
泥水で体中汚れた私に、おばちゃんは、

「姿が一瞬に消えて、何が起こったか最初わからなかったよ。」
と言って笑いました。

母に叱られると思ってたけど、母は笑顔で、おばちゃんにお礼を言い、私の泥だらけの体を水道水で洗い流してくれ、すぐにお風呂を入れてくれたのを覚えています。叱られませんでした。

そこでその日の記憶はストップしていますが、登下校で、私が落ちたその田んぼの稲が、私と自転車の形だけ、折れ曲がってるのを見るたびに、自分の愚かさを見るようで心が折れそうでした(´・ω・`)。その日以来、その遊びは二度としませんでした。数日たつと、その部分も他の稲と変わらないくらいぐんぐん育って、気がつくと、全くわからなくなってました。ほっとしました(*´・ェ・a)。


そして、私も母になり、長女りんごが小学校の時です。

そろそろ帰る時間だなぁって思ってたら、チャイムが鳴り玄関を開けると、見知らぬおじさんとりんごが立っていました。

おじさんは、
「この子、田んぼに落ちてね、怪我はなさそうだけど見てあげてな。外に自転車も持ってきてるからね。」
と言い、
「お礼を後日にしたいので、お名前を教えてください。」
と言う私に、おじさんは笑顔で、そんなのいいからと手を振りながら帰られました。

りんごはしょんぼりしてました。怪我がなくて本当によかったです(p_q)。
その時に、私は、泥だらけになった当時の私を水で洗い流してくれた母の優しい気持ちを知るのでした。
                                       zitennsya522.jpg
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私が子供の頃  | コメント : 7

靴ひも

2011/04/07 01:56

洗濯物を取り込みに行くと、昨日買った学用品が、買った時の紙袋に入ったままの状態で机の横に置いていました(;-_-) =3。
洗濯物を取り込んで横に置き、座り込んで靴ひもを結びました。

    P1010647_convert_20110407010048[1]kutu46 ←いちごとかりんの分です。


私は、小さい頃から物欲のない子供でした。それは姉がいたので欲しい物が目の前にあったからかもしれませんが、本当に、これが欲しいという物がなかっただけでした。実家は決して裕福ではありませんが、今思うといろんな意味で心が満たされていたのだと思います。なのに、欲しがらない私を両親はとても可哀想に思っていたのか、逆に、これ喜ぶんじゃないか?と勝手に決め込んでは買ってくれ、とても驚くことが度々ありました。「ぇーいらないのに…」と一度言った時の母親の寂しそうな顔を見てからは、「ありがとう」と受け取ってましたが、本当に欲しいものが無い子供だったのです。

そんな私が初めてわがままを言いました。どうしても行きたい高校があり、そこに通いたいと言うと、両親は二つ返事で了解してくれました。もともと田舎に住んでる私にとって、地元の高校に行くにしても遠いのですが、その高校に入ると言う事は親元から離れるという意味でした。

自宅が学校から遠いところの子供を受け入れてくれる下宿先がありそこにお世話になりましたが、部屋には小さなキッチンがあり、お料理も洗濯も全て自分でします。お料理は子供の頃から好きだったので、その点では両親も私自身も全然心配していませんでした。15歳の娘の一人暮らし、心配だったと思いますが、許してくれた両親に感謝しました。そして、その信頼を裏切りたくないと子供心に思いました。

身の回りのひと通りを用意して、明日下宿先に向かう前日、母が座ってうつむいていました。母は私の新しい靴の靴紐を通していたのです。その背中はとても小さく丸く寂しそうでした。


いちごとかりんの靴ひもを通しながら、私は我がままだったなぁ~と思いました。地元の高校だったら、学費以外の一人暮らしするための生活費までいらなかったのにと思いました。それは、自分が親になって、教育費にかかる負担を知ったからこそ思ったことです。私は溺愛されてたなぁとしみじみ思いました。

母の小さな背中を思い浮かべながら、そんなことをぼんやりと考えていたら、後ろからいちごの明るい声がしました。

「お母さん洗濯物とりに行ってなかなか下りてこないから心配してきたら、靴紐してたんだ。ありがとぉ。」

(*´ω`*)
いちごは、15歳の時の私と同じ目で、私の背中を見てたのかな~なんてことをふと思ってしまいました。


       ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

昨日、かりんが「ぶりのあら煮が食べたいっ♪」とつぶやいたので、今日の晩ご飯はぶり大根です。

      P1010650_convert_20110407010152[1]buri46 (ブリのあら、お手頃ですよね)

菜の花の炒め物もかりんのリクエスト。春を感じます♪。まいたけのお汁は、いちごが大好き。作ってる後ろで、
「やっほぉ~。まいたけのおっつゆぅ♪」
と彈むくらいです( *´艸`)クスッ♪。

主人が煮魚が苦手なので、いつも主人のいない時限定で作っていたのですが、子供たちは煮魚大好きです。今日はちょっと豪華な晩ご飯になっちゃいました。長女のりんごが「チキンソテーが美味しすぎ!」と言ってくれたのも嬉しかったです♪。
                                               ぁーホントにシアワセ♥。



かりんが、「ぶりのあら煮が食べたい」と言った時、じゃぁぶり大根作るかと思いつつ…下ごしらえめんどいな…と一瞬思ったことはヒミツ……

私が子供の頃  | コメント : 9

甘酸っぱい思い出

2011/02/18 00:47

子供の頃、実家の裏には、グミの木がありました。梅雨の晴れ間に、キラキラなグミの実を見るのが好きでした。緑の葉っぱに真っ赤なグミの実はとても綺麗でした。甘酸っぱいグミの実は、実家の裏の風景が見える思い出の味です。

gumi20090707b[1]_convert_20110218004340[1]  yusuraume06[1]_convert_20110218004417[1]
         グミの実                               ユスラウメ 

ユスラウメは、あっちゃんちに生えてて、グミの実より甘さがあって、「一緒に食べよ」と誘われて食べた思い出の味。

そして、学校の帰り道、コロボックルを探しながら、野いちごを見つけ、コロボックルもこれを摘みかごに入れて運んでいるのかなぁとか、ジャムにしたりしてるのかなぁとか、想像を巡らせ、つまんで食べた下校の時の寂しさを紛らわせてくれた甘酸っぱい思い出の味。

UaLLBmBW[1]_convert_20110218004451[1]    photo_4[1]_convert_20110218011547[1]
           野いちご                         イタドリ 

イタドリを見つけると、食べたくないけど、なぜか摘んで皮をむき、やっぱりすっぱ~ぃ(+。+;)って思いつつ手に持ったまま帰った酸っぱいだけの思い出の味です。


子供の時に食べたこの4つの甘酸っぱい思い出の味は、何年ぃえ……十数年も口にしてないのに、明確に覚えているから不思議です。







りんごや、ゆず、いちごや、かりんが大人になって子供の頃を振り返った時、こんな思い出の味があるのかなぁ~。
グミの実や野いちごではないかもしれないけど、きっとありますよネ(*^▽^*)♪。

私が子供の頃  | コメント : 5

コロボックル

2011/02/16 13:17

私の実家はかなり田舎です。トトロの風景と同じような感じです。

子供も全校生徒が100人も満たないような小さな小さな小学校でした。私の地域からは同じ学年の子供は私以外におらず、1つ上に近所のあっちゃんという男子がいました。そして2つ下にあっちゃんの妹ともう一人の女子がいました。下校時間が同じのときは、一緒に帰っていましたが、違ってしまった時は、私は一人で帰っていました。

一人で帰る帰り道の寂しさを紛らわせるために、私は大きな声で歌いながら帰っていました。そして、道端に生えてる雑草の葉っぱをひっくりかえしたり、椎の木の根下をのぞきながら、絵本で見たコロボックルがいるんじゃないかとこっそり探していました。

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私が子供の頃  | コメント : 7

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